昔話その③
夏休みに入った翌日、彼女は担任の熱血先生に連れられて塾に来た。今時の高校生らしからぬ幼い顔立ちで、半そで半ズボンから見える手足がとても細い。
挨拶を交わし、早速教室に入ってもらって私は簡単に自己紹介をし、熱血先生との関係などを話した。初めは固かった彼女の表情も、熱血先生と私が冗談を言い合っている様子を見て少し安心したのか、次第に笑ってくれるようになった。彼女は熱血先生を信頼している、慕っていると感じた。
何となく打ち解けてきた感じがしてきたところで、彼女に静かに聞いてみた。
「この間ね、担任と副担任、2人の先生から今のあなたの状況を聞いたよ。それでね、もしあなたがよければ、夏休みの間、僕と一緒にこの教室で算数を勉強してみない?」
もし彼女が承知すれば、私は慣れない算数の指導をしてみようと思っていた。うつむき加減の彼女を、熱血先生が心配そうにのぞきこむ。
やがて彼女は小さな声で
「・・・お願いします」
と言った。熱血先生がホッとした様子で私に微笑む。
「わかった。じゃ明日からおいで」
私もにっこりしながらそう言うと、彼女も恥ずかしそうに微笑んだ。
翌朝、彼女はバスに乗って一人で塾にやってきた。
まず始めに、いくつかのことを再確認することにした。今の調子では出席日数が足りなくなり、進級できないかもしれないこと。
理科はともかく、副担任の先生担当の数学の単位を落としては進級できないかもしれないこと。(やはり、理科や数学がある日の朝はお腹や頭が痛くなるらしく、それで学校を休んでしまうようだった。)
「数学が少しわかるようになったら、今ほど学校に行くことが苦痛じゃなくなるかな?」
私の問いに、彼女は首をかしげながらもゆっくり頷いた。
私は本来、高校なんて行きたい人が行くところであって、行きたくない、行けない人は無理に行かなくていい…と思っている。
だけど、彼女の生い立ちや今の生活環境を知って、北海道への修学旅行には何とか参加できるといいなと思っていた。
それは同情というよりも、彼女の周りに生きる一人の大人としての贖罪…のような気持ちだった。(ちょっと大袈裟だけども)
「よし、じゃあ、2学期からはできるだけ休まなくて済むように 夏休みの間、しっかり計算練習しようか。あ、でも無理しなくていいからね。学校だって、休みたいときは休めばいいから。ただ、進級のためにはあと何日休めるか担任に聞いてごらん。その範囲内なら休んでも大丈夫だから」と、いたずらっぽく笑いながらそう言うと、彼女の表情が少し和らいだ。
初日の今日は、どれくらいの計算ができるのかを見せてもらうため、まずは一桁の足し算用「百マス計算」のプリントを1枚手渡した。やり方を説明し、時間は気にしなくていいから、ゆっくりやってみて、と指示した。そして、彼女の様子をじっと見ていた。
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彼女がプリントの答えを全部埋めるのには、10分以上の時間が必要だった。
(続く)
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