昔話その⑩
彼女を見ていた頃、夜の授業の休憩時間で彼女と同い年の女の子たちが「今度3万円の携帯の新機種を買ってもらう(当時、携帯はまだ高価だった)」とか、「新幹線で広島まで服を買いに行く~」といった話をしているのを耳にした。
個人の生活環境がそれぞれ違うのは当然で、ちょっと大袈裟に言えば、この世は不条理と理不尽さに埋め尽くされていることは、私自身もよく知っているのだけれど、彼女とのあまりに違い過ぎる環境の差に(良い悪いではなく)、言いようのない気持ちになった。
実は、私も彼女と似たような環境に育った。
放蕩親父のせいで、母は自分が働くことで家計を支えようとしたが、親父の放蕩ぶりにはとてもかなわず、次第に疲れていった。 そして、その様子を見てきた私は、母の不満や苛立ちの矛先が自分に向いても我慢するしかなかった。暗く冷たい海底で、嵐が過ぎ去るのをじっと待つ魚のような気分で。
あの時の気持ちは、還暦を過ぎた今でも、ありありと思い出せる。
小・中学生の頃から「人は理屈ではなく、感情で動く」、「子どもの力では何もできない、どうにもならないことが沢山ある」のだと学んだ。まあ、人にもよるのだろうけども。
そんな私が人の道を外れず、まずまずまともに生きてこれたのは、天性の明るさと(殴)、中学の時の親友とそのお母さんのおかげなのだけど、これを書き始めるとまた長くなるのでやめておく。(笑)
そんな私の所へ、彼女が連れてこられたのも何かの縁だったのかもしれない。
子どもは、良くも悪くも親を頼って生きていくし、周りの大人に影響を受ける。 そういう意味で「大人(親)は子どもにとって「最大の環境問題」と言える…のかもしれない。
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さて、彼女が無事、高2に進級したと聞いた数ヵ月後…
夏休みのある日、彼女が突然、塾に訪ねてきてくれた。
手には北海道への修学旅行のお土産を持って・・・。
そうかぁ・・・行けたんだね。よかったなぁ。
「北海道はどうだった? 楽しかった?」と聞くと
「はい!」と彼女は満面の笑みを浮かべた。
そして9月……
彼女は高校を辞めた。
詳しいことはわからない。
熱血先生から、遠くにある全寮制の養護学校に預けられるようになった…と後から聞いた。
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あれからもう何年経ったのかな。
多分、彼女はもう45歳を越えているはず。
どこかで元気でいてくれるといいけども…。
今でも時々、彼女と過ごしたあの夏休みのことを思い出す。
というか、忘れられないし、忘れたくない。
【完】
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