塾案内のご挨拶(2020年版)
ご挨拶
私たち夫婦が、今の場所に徳高生対象の個人塾を開いたのは、今からちょうど21年前の春のことでした。それ以前は市内の大手企業塾に14年間勤めていましたので、私たちが「塾講師」という仕事に携わるようになって、もう35年の歳月が経ったことになります。
その昔、私たちが勤め始めた塾は生徒数が200名ほどの塾でした。入社したばかりの私たちは、毎日無我夢中で教材研究、授業準備をし、授業で子どもたちと真剣に向かい合っていました。そんな日々は忙しいながらもとても充実感がありましたし、子どもたちの将来に関わるかもしれない「塾講師」という仕事に大きな魅力を感じていました。
数年後、私たちは塾内でも認められるようになり、授業数(担当クラス数)も増えて、他のどの講師よりも多く授業をするようになっていました。小・中・高のすべての学年を担当しましたし、英語、数学のクラスだけでなく、国語、社会のクラスを担当することさえありました。やがて時代の流れも手伝ってか、私たちのいた塾は県内のいろいろな場所に教室を展開するようになり、塾生数が1500名を超えるような、県内でも有数の大きな塾になりました。それに合わせて私たちの仕事内容も少しずつ変わり始め、授業をするだけでなく、他の仕事(塾全体を管理・運営する者としての仕事)の割合も増えていきました。そして、私たちが会社の中心になっていくにつれて、私たちは「塾講師」である以上に「塾の管理・運営・経営参加者」であることを会社から求められるようになっていきました。
企業は会社の存続・発展が第一の目標ですから、営業利益を上げることを目標にするのは当然のことでしょう。同業者の間で繰り広げられる誇大とも思える宣伝広告競争、子どもたちの将来を考えているとは思えない営業戦略、経営効率を最優先した運営方法なども仕方ないことなのかもしれません。しかし、長年子どもたちと直接向き合い、関わってきた私たちにとって、こうした企業塾の経営方針や運営方法に賛同できないものも多くあり、塾の存在意義そのものにも疑問を感じるようになりました。
それでもそこで何とかできないかと考え、悩み、いろいろと努力もしましたが、やはり「企業としての塾の管理・運営・経営参加」という仕事は、私たちに向いていませんでした。
私たちはそれまで勤めていた塾を辞め、自分たちの塾を作ることにしました。講師は私たち夫婦2人だけという小さな塾です。でも、それが私たちの生きる(活きる)道だと思ったからです。
これまで長年、「塾」という場を通していろいろな生徒たちと関わってきました。彼らの多くは、現役で自分の望む通りの大学・学部に進んだ子、まずまず納得できる大学・学部に進んだ子たちだと思います。そして、いろんな事情で志望とは違う大学に進まざるを得なかった子、残念ながら現役では志望大学に合格できず浪人した子もいます。また、自らの意思で専門学校に進んだ子、高校を中退し宝塚音楽学校に入った子、警察学校に進んだ子、ハワイの語学学校を経てアメリカの大学に進んだ子、いきなり中国の大学に進んだ子もいますし、彼らのその後も知っています。
というのも、以前勤めていた大手塾の頃の卒塾生も含めて、長期休暇や成人式などで帰省した時、就職が決まった後や大学卒業後、そして大人になった今でも、折々に連絡をくれたり、塾に顔を出してくれたりする子たちが多いからです。
こうして、彼らがいまだに私たちと繋がっていてくれることを、「縦でもなく、横でもなく、斜めの関係」である「塾講師」として彼らと出会えたことを、とても有り難くうれしいことだと感じています。
これからもこの塾で、学校の先生や保護者の方とは違った立場で子どもたちの勉強に関わり、彼らとの様々な対話の中で共に学び、共に考えていきたいと思います。そして、塾の存在意義を問い続け、私たちが考える社会的存在価値のある塾、子どもたちや保護者の方たちと相互に支援しあえる塾になりたいと願っています。
網重和之・網重正子
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