誰かの靴を履いてみること
ブレイディみかこさんの著書、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は少し前に話題になった。その時にすぐに書店で本を買い求めて読んだ。
文章も読みやすくおもしろいし、何よりそこに書かれていることがとても素敵で
とりわけ私が気に入ったのは、この「誰かの靴を履いてみること」の話だった。
【本文引用開始】
要は、シンパシーとエンパシーの話。
シンパシー(sympathy)は
「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」、「2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為」、「3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」
エンパシー(empathy)は「他人の感情や経験などを理解する力」
つまり、シンパシーの方は「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」なのである。
前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、後者はどうもそうではなさそうである。つまり、シンパシーの方はかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出てくる。
だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。
シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない。【引用終了】
個人的には、「何かを教える、伝える」ということが仕事である人は、
シンパシーよりもエンパシーの能力が必要ではないかと思う。
生徒の「わからない」の言葉に、「こんなこともわからんのか」と返す方、口に出さないまでも明らかにそんな雰囲気が態度に出る方、そういう方には「先生」と呼ばれる仕事は向いていない。(まあ、いろいろな事情があって、気持ちに余裕がなくなってしまったのだろうとは思うけれど)
0コメント